
写真を撮る。
撮ったものの中でどれくらいの割合で、人様に見せることが出来る(と自分が得心する)写真があるだろう。
もちろん、「見せる」あるいはもう一歩も二歩も進んで「魅せる」ために写真を撮ってるんぢゃない。
と言う方もいらっしゃるし、私自身その「感じ」も分からなくもない。
撮ることが楽しいから、全然下手っぴでもいいんですと言うセリフもよく聞く。
もちろんそれも個人の趣味の範疇なので全然問題ない。
撮ることが楽しい、というのと、
楽しいから撮る、というのと何か少し違わなくも無いけど。
とにかく、私の場合は(と限定しておきます)
撮っている以上は、何かしら人様に見ていただきたいと思っている。
なのでInstagramだとかFacebookだとか、はたまたこうしたブログとかに
写真をお伺いを立てるように載せるわけです。
で、稀にこれは何だか載せたくないな、というのがあります。
変な意味ではなくて、ましてや変な写真ではなくて。
それはどういう写真かというと、その時の自分の気持と撮った写真(この場合、帰宅してPCで現像したもの)が
ピッタリ重なっている写真。
逆に言うなら、カメラのファインダーを覗いていた時の自分の気持ちが写真に滲み出ている感じがするということです。
まぁ、得てして時間が立って見ると実に「独りよがり」な写真だったりする場合も多いのですが。
そんな見せたいけど見せたくない写真、具体的にここにアップしてもいいんですが
モザイクだらけの意味不明なものになるので(笑)アップしません。
で、そういう写真で時間が経過しても、その気分が変わらない(独りよがりでなさそうな)写真を
丁寧にプリントして行きたいと思うわけです。
そういう写真で、きちんと人様に「私の写真」ですがどうでしょう?と見て頂きたいと。
見て頂くことを、評価していただいたり喜んでいただいたりすることから逆算するのではなく
ファインダーを覗くところから、シャッターを切るところから積み重ねて行くという写真を。
そうすると折角なので、プリントして人様に見て頂くまでは、見せたくない気持ちにまで高まる気がしているのです。
長い割に大して中身の無いお話でした・・・(汗)